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「歌は世に連れ世は歌に連れ」と言われるが歌に歴史の歩みへの思いを馳せる事は多い。読売編集手帳に岡 春夫さんが歌った「憧れのハワイ航路」の話があった。昭和23年、戦争に負け、食べるものもなく絶望のどん底にあった時代、ハワイ航路など夢のまた夢であった。作詞家の石本美由起さんは遙かな夢を詞にしたのだと言う。石本氏の追悼記である。なにが無くても夢の大きかった時代それが懐かしいのは今は何があっても夢が乏しい時代だからか、とある。
夢を心と置き換へて、ものの不足の時代は心があったと言えないだろうか、心がそれだけ豊かであった。「今に見ていろ僕だって、末は博士が大臣か」 なれもしない夢に浸った。「夢見る夢子さん」も心豊かな典型的な少女だった。それに引き替えものが豊かになった今、常に疑心暗鬼、背伸びばかりで夢もなく心は何か寒々としている。
昔一般庶民は一様に貧乏だった。貧乏が当たり前だから貧乏が苦にならなかった。貧乏を隠す事がなかった。隠すものがなかったからだ。八つぁん熊さんがいて隠居さんがいた。隣近所はみな家族同様、ものの貸し借りは日常茶飯事、大家も店子も平等で家賃を溜めても平気だった。そんな頃、何か平和で夢多く生きることに安心感があったような気がする。
カラスと言えば一昔前は「カラス何故泣くの、カラスは山に〜」と歌われ子供達の良き友達だった。それが「カラス何故泣くの、カラスの勝手でしょ」と歌われる頃から街角の「ゴミ」を食い散らかす不吉な鳥となり町の天敵となってしまった。これももの不足時代からもの余り時代となって夢が壊れた好例かもしれない。カラスこそ良い迷惑である。
文化庁で「お子さまに伝えたい日本の歌百選」を募集したところ圧倒的に昔の童謡があったそうだ。しかし最近は幼稚園や保育園でもあまり歌わないと言う。新しい童謡が生まれないのも歌わないからであろうし「歌を忘れたカナリヤ」では「歌は世に連れ世は歌に連れ」にもならない。2009年6月1日
http://www.h5.dion.ne.jp/~tom28
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