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2015.9.25にアップされた 東京優景#41 東京リレーウォーク(26) を拝見しました。
『移住していた文化人の働きかけなどがあって自由が丘という地名となった』とありますが、
自由が丘という名称がなぜこの地(旧称・谷畑)の地名になったのかが直ちには分かりません。
自由ヶ丘学園の存在を抜きにして説明するのは一足飛びのように思いました。
地域文の文章展開を簡素なものにしたいという方針はもちろん重々承知していますが、
ここはやはり自由ヶ丘学園にも触れたほうが一段と分かり易いと思います。
ただYSKさんが自由ヶ丘学園への言及を避けたのは、自由ヶ丘学園に言及すると、
それだけにとどまらず自由ヶ丘と自由が丘との相違にも言及しなければならず、
そうなると文章が相当程度に冗長なものになってしまい、それは地域文としては
好ましくないと判断されたのではないかなと推察しました。
今回のレスでの書き込みは、地域文の筆者でもない通りすがりの訪問者が
地域文・余話とでも言いますか、地域文・夜話とでも言いますか、
そのような文章を勝手に書き込んでいるとの位置づけで、見過ごして
いただければ幸いですが、
文化人が働きかけて自由が丘という地名が選定された、
というよりは、
文化人が働きかけて自由ヶ丘という駅名が選定され、
その駅名にちなんで地名が選定された、という順番だろうと思います。
自由ヶ丘学園のサイトで紹介されている「目黒区史」に説明されている通りでしょう。
自由ヶ丘という町名が自由が丘という町名に改められたのは、
住居表示に関する法律に基づく住居表示が当地で実施されるにあたり、
同法律の条文中に、「できるだけ読みやすく、かつ、簡明なものにすること」
とあったのにのっとって「ヶ」を「が」に改めたとのことで、
このことは目黒区の公式サイト中、目黒の地名のページにおいて、
自由が丘の項目では説明されていませんが、東が丘の項目で説明されています。
このへんは、やはり、余話・夜話だからこそ書き連ねることができる話であって、
本家本元の地域文で、詳しく、紛れのないように説明するのはむずかしいでしょうね。
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